トップへもどる
IPSe
イプシ・マーケティング研究所
<コラム&レポート> -ビジネスレポート-
ICカードビジネス

JR東日本のICカード定期券"Suica"がスタートして約1年半、2003年6月現在で発行枚数はすでに600 万枚を超えている。一気に私たちの身近になったICカードだが、その利用分野は現在どこまで広がっているのか。交通・医療のほか、企業内での利用や行政での導入など、ICカードを使ったビジネスやサービスを紹介する。

第1回 東京急行電鉄株式会社「せたまる」
2003.6.23
<東京急行電鉄株式会社> http://www.tokyu.co.jp/


■ ノスタルジックな風情を残す「世田谷線」にICカード乗車券


小野氏、佐藤氏、海藤氏、古川氏
前列右から:小野氏、佐藤氏
後列右から:海藤氏、古川氏

 東京都世田谷区内を走る世田谷線は、東京急行電鉄株式会社(以下、東京急行)が運営する路線の一つ。平成10年まで、「チンチ〜ン」の合図で発車する、木の床に塗られた油の香りがただよう旧型車両が活躍。車両が新しくなった今も2両編成で緑多い住宅地を走る世田谷線は、のどかな雰囲気を残す、鉄道ファン注目の路線である。その世田谷線で2002年7月、乗車券にICカードを導入した「せたまる」がサービス開始された。
    
 今回は、サービス開始から間もなく1年を迎える世田谷線の「せたまる」について、サービス導入の経緯や現状などのお話を東急電鉄本社で伺った。 「せたまる」の企画から運営に携わっておられる鉄道事業本部運輸営業部の小野尚氏、海藤善美氏、カード戦略をご担当の経営統括本部佐藤友康氏、古川智子氏の4人から、興味深いお話を伺うことができた。



■ 世田谷線の概要


 東京急行は、東横線・目黒線・田園都市線・大井町線・池上線・多摩川線・こどもの国線の鉄道7路線と世田谷線の軌道1路線の計8路線を運行している。

 世田谷線は、三軒茶屋から下高井戸まで10駅、5.0kmを走る。途中、環状7号線の路面を横切るため、路面電車と呼ばれることもある。運賃は、平成9年の12月以来、全線一律片道大人運賃130円(小児運賃70円)。東急田園都市線・小田急線・京王線の私鉄3線に接続している。沿線は静かな住宅地。学校も多く、利用客には学生が多い。また、世田谷区役所の最寄駅が路線上にあるため、区役所や周辺の行政機関を訪れる人も世田谷線を利用する。



■ 「せたまる」とは


 「せたまる」は、世田谷線のみで利用可能な非接触式ICカード乗車券で、「せたまる定期券」「せたまる回数券」の2種類がある。


「せたまる定期券」と「せたまる回数券」

せたまる定期券 せたまる回数券


 定期券は、表面に期限等が印字されており、継続の際はこの部分をリライト(書き換え)して再利用する。紛失しても再発行が可能。

 回数券は、再発行はできないが、従来の紙の回数券同様の割引サービスを形を変えて実現している。世田谷線の紙の回数券は以下3種類がある。

  • 普通回数券 − いつでも利用可能。割引率9.1%
  • 時差回数券 − 平日の10時から16時、土日祝日が利用可能。割引率16.7%

  • 土日割引回数券 − 土日祝日だけ利用可能。割引率28.6%
 従来あったこの回数券よりもお得な企画乗車券を、「せたまる回数券」という愛称で、ICカードのアプリケーション機能を使って実現した。「せたまる回数券」は、タッチするたびにポイントがカードに蓄積され、貯まったポイントは、10ポイント=運賃130円分としてそのまま使うことができる。付与されるポイント数は、従来の3種類の回数券のように曜日や時間によって設定されており、割引率は10.0%から最大40%とお得になっている。

 「せたまる」の定期券や回数券の新規購入、回数券への追加入金(チャージ)は、主要3駅に設置された「せたまる発売機」でできる。回数券へのチャージは1,000円、2,000円、3,000円、5,000円の単位で、カード内には10,000円まで積み増しの蓄積が可能だ。この発売機で、利用履歴の表示・印刷もできる。乗車の際には、主要駅の「改札口入場チェッカー」、または車内の「車内チェッカー」に、「せたまる」を軽くタッチする。


■ 「せたまる」誕生の背景


 「せたまる」は、乗車券をICカード化するという単独のプロジェクトで行われたわけではない。世田谷線のサービス水準をアップ、バリアフリーの一環として、車両更新やホーム改良と合わせて実現された。
 旧型車両
旧型車両
旧型車両のステップ
 旧型車両の乗降口ステップ

 
旧型車両は、鉄道ファンには好評だったが、冷房がなく、また乗降口のステップが高いためお年寄りなどには乗り降りが大変だった。また多くの駅ではホームの一部にしか屋根がなく、雨の日には傘を閉じながら乗車しなければならない。そこで平成10年度より、世田谷線全体のサービス改善を図るため、以下の4つの施策が進められた。

  1. 車両更新:
    エアコン付きの新型車両を導入し、快適な乗車環境と運行のスピードアップを実現した。
  2. ホーム屋根の増改築
  3. ホームの嵩上げ、スロープ設置、車内のステップ解消:
    駅、車両ともバリアフリー化し、同時に乗客の乗り降りの時間短縮を図った。世田谷区役所などが沿線にあるため、ハンディキャップのある方の利用も多い。この施策により、車椅子での乗り降りもスムーズにできるようになった。
  4.  
  5. 乗車券システムの近代化


 この第4の施策が、乗車券のICカード化という方法で実現されたのである。

 世田谷線の駅は、始発駅の三軒茶屋、下高井戸以外は無人駅で、途中の駅では、運賃の回収は乗務員が行っている。「せたまる」導入前は、定期券を運転士または車掌に見せる、あるいは現金または紙の回数券を運転士・車掌のそばにある運賃箱に入れるという方法で運賃回収を行っていた。このシステムを近代化することによる乗務員の業務効率化と乗降にかかる時間短縮がこの施策の目的であった。

 磁気カードよりも改札機の導入費用もメンテナンス費用も低いこと、また、長期的には、鉄道乗車券のICカード化が一般化するとの予測から、東京急行ではICカードが研究されていた。そこで世田谷線のリニューアルプロジェクトの一環として、ICカード乗車券の世田谷線での実施が、平成12年2月に社内決定されたのである。
 


■ モニターテストの手応え−予想以上に好評だったICカード


 「せたまる」サービス開始の直前にモニターテストが行われた。モニター募集は、世田谷線各駅だけに告知と申込用紙を兼ねたチラシと申込受付箱を設置して行った。

 募集告知を沿線内にとどめたのは、同じくICカード乗車券を導入していたJR東日本のSuicaが、導入前にモニターを広く一般から募集したところ、普段の利用者以外からの応募が殺到したという事例を参考にしてのことだ。

 「せたまる」のモニター募集では、応募用紙を1,000枚配布し、3割程度の回収率を見込んでいたところ、800件を超える申し込みがあった。「予想外の反響に、利用者のICカード乗車券に対する関心の高さを実感した」と海藤氏は言う。この応募者の中から、属性が偏らないように配慮しながら抽出した100名を回数券モニターとして、定期券は近隣の職場の方100名にお願いをしてモニターテストを行った。

 「せたまる」導入に際して最大の懸念は、ICカード発行時にデポジットとして500円を追加収受することに対する利用者の反発であった(このデポジットは、カード返却の際に戻ってくる)。ところがモニターアンケートの結果では、デポジットに対する抵抗感は意外と少なく、むしろカード化することによって「定期券や回数券を再利用でき環境にやさしい」と評価する声が多かった。

 また、割引率の違う色違いの紙の回数券を3種類とも持って使い分けていた乗客が少なくなかったが、それがカード1枚になったことも好評であった。



■ 利用者数はぐんぐん伸び、「せたまる」導入で総乗客数もアップ

 
 モニターテストで確かな手応えを得た東京急行は、平成14年7月7日、「せたまる」乗車券サービスを開始した。鉄道系のICカード乗車券のサービスとしては、JR東日本の「Suica」、東京モノレール「モノレールSuica」、埼玉高速鉄道に次いで4番目のスタートである。

 世田谷線の乗客数は、1日平均で延べ約5万人。往復利用者を考慮すると、1日の利用者は約2万5千人である。そのうち定期券利用者が半数弱、回数券利用者は2割弱、残りは、いわゆる「一見さん」が多い現金利用者という構成であった。そこで「せたまる」の利用者数目標は、定期券・回数券全利用者に現金利用の一部を加えた2万人に設定された。ところが、サービススタート1ケ月後の8月初めには目標の2万人を突破。導入直後から10月6日までデポジットを無料にするというキャンペーンの効果もあったと思われる。

 しかしこの時点では、まだ定期券利用者に占めるカードホルダーは85パーセントであった。この数字を上げるため、10月7日から11月4日まで「定期券タッチキャンペーン」を実施した。これは「せたまる定期券」でタッチした数だけ点数ポイントがもらえ、30点貯めるとパスネットが当たるキャンペーンの応募用紙がもらえるという内容だった。このキャンペーンにより、「せたまる定期券」の利用率は定期券利用者の97パーセントまでアップした。

 カードホルダー数は、導入から4ケ月目には3万枚を超え、さらには半年を過ぎた平成15年1月には4万枚を越えた。しかも利用客に占めるカードホルダーの割合が上がっただけでなく、総輸送人員もアップした。サービス開始から3ケ月目には、総輸送人員は前年比4.3パーセント増になった。

 それまで世田谷線の利用者数は、平成8年度のキャロットタワー(キャロットタワーは三軒茶屋にある商業施設と公共施設、オフィスフロアーからなる複合ビル。平成8年11月に完成)建設にともない田園都市線の乗り換えが不便になっていた事や、世田谷区の人口が減少傾向だった影響もあり、4万8千人を下回るまで減少していた。

 しかしグラフに示すように、平成5年から減り続けていた乗客数は車両リニューアルや、キャロットタワーの完成と共に急激に回復し、「せたまる」導入によってさらに増加することに成功したのだ。

世田谷線輸送人員の推移 (1日平均:人)
世田谷線輸送人員の推移



■ 運転士の業務効率化・運行スピードアップも実現

 「せたまる」プロジェクトは、開発段階から運転士、案内係や駅の係員もプロジェクトチームに入れ、現場の声を反映させながら開発が進められた。そのため、導入後は現場からも好評を得ている。効果として大きかったのは現金支払いが大幅に減少した点だ。硬貨がつまった重い運賃箱を運ぶ必要もなくなった。

 導入直後は、改札入場チェッカーに駅係員が張り付いて、利用方法の案内にあたった。「せたまる」の改札口入場チェッカーにはカードリーダー部分に絵がついているが、その上部にあるデジタル液晶部分にタッチする人が老若男女を問わず多かった。「ICカードなのでデジタルな画面にかざしたくなる、ということなんでしょうか。タッチ場所を示すイラストにも工夫が必要ですね」とのことである。

 それでも運転士の業務効率アップは確実に進み、お客さまの乗車もスムーズになった。新型車両は、乗降口を広げて一度に2名の乗客が乗降できるようにし、車内チェッカーも乗降口の左右に2台設置した。車両のリニューアルと「せたまる」の相乗効果で、走行時間が全線で約1分短縮が可能となり、今後はダイヤ改正にこの結果が反映されていく予定だ。

世田谷線の三軒茶屋駅 (写真手前に改札入場チェッカー2台)
三軒茶屋駅と改札入場チェッカー



■ 交通系ICカードのスタンダードになりつつある「非接触・Type C」の採用

 「せたまる」のICカードは非接触の「Type C」だ。JR東日本のSuicaでも採用されているソニー製のFelicaを搭載している。

 ICカードには「接触型」と「非接触型」がある。

 接触型ICカードは、ICカードの表面に接点がついており、カードリーダに挿入してデータの交信を電気的に行う。接触式であるため通信が安定しているが、データ送信速度が非接触型に比べると遅い。また利用のたびにカードリーダに挿入する必要があるので、スピードを要する改札には適さない。

 非接触型ICカードには接点はなく、電波を送受信するためのアンテナ(コイル)をカード内に内臓しており、無線で通信を行う。その交信距離によって非接触ICカードは、「密着型」「近接型」「近傍型」「遠隔型」に分けられる。Felicaはデータ伝送距離が1cm〜10cmの「近接型」だ。さらにその「近接型」は、通信方式によって「Type A」「Type B」(国際規格)「Type C」(日本提案)に分類される。「Type C」は他のタイプに比べ、データの高速処理機能を最重視して開発された。

 都内の交通系改札では、改札をスムーズに通過できること、また改札機でデータ送信が0.1秒以内に処理できることが必須条件だ。

 「Type C」は高速処理が可能である他、非接触型の中ではカードを斜めにしても読み取りやすく、接触不良が起こらないなどの特徴もある。これは老若男女さまざまな人が利用する乗車券と相性がよい。

 上記の条件に対応できるのは「Type C」だけで、これしか選択の余地がないのが現状である。Felicaは、鉄道会社等で構成する日本鉄道サイバネティクス協議会の規格準拠にも採用されている。

 ちなみに、「Suica」と「せたまる」は同じタイプのICカードであるが、ひとつのパスケースに重ねて入れていてもタッチしたときにそれぞれが識別されるので問題ない。

 ICカードの目下の問題点はカード製作コストだ。「せたまる」の場合、1枚のカードを発行するのに700円以上の費用がかかる。500円のデポジット収受もやむを得ないというわけである。



■ 導入の成功要因

 「新しいことを導入する際には、机上の勉強だけでなく実際にやってみないことにはノウハウは身につかない、というのが我々の考え方」と小野氏は言う。乗車券のICカード化を「実際にやってみる」プロジェクトにおいて、小野氏が「東急が世田谷線を持っていたのは幸運だった」と言うように、この路線はまさにパイロットケースにぴったりであった。

 成功要因として、まず世田谷線が全線均一運賃の小規模な路線で、東京急行を含めて他の路線から独立した乗車券制度を持っていたこと、そしてもともと定期券や回数券の利用者、つまり「固定客」の割合が高い路線であることが挙げられる。また、モニターテストの反応でもわかるようにSuicaの普及により「ICカード乗車券」に対する認知度が一般に高まっていたことが、浸透を早めた要因だったのではないかと思われる。



 ■ 次の課題〜せたまる変身の術登場か?〜

 現在の課題は、「せたまる」が回数券と定期券に分かれてしまっている点だ。

 世田谷線の場合沿線に学校が多い事もあり、定期券の3割が通学定期だ。通学定期を利用する学生は、夏休みなど長期の休暇になると定期券から回数券に切り替える。その場合、現在の「せたまる」では2種類のICカードを保有しなければならない。「せたまる回数券」は現在制度上の規制のため"企画券"(例:JRのフリー切符なども企画券の一例)として位置づけられており、1枚のカードで両機能を使い分けることができないのだ。

せたまるくん
 「せたまる」キャラクター、「せたまるくん」
 制度上の規制の問題が解決すれば、将来的には1枚のICカードで定期券にも回数券にも自由に設定できるようにする計画だ。それが実現したときには、「せたまる」のキャラクターである忍者の「せたまるくん」にも一役買ってもらい、"せたまる変身の術!"というキャンペーンをしてみてはどうか、など社内では次の企画に向けてのアイデアも次々に提案されているという。








■ 「せたまる」の今後の展開

 15年6月15日現在、「せたまる」の発売枚数は50,389枚。サービススタートから1年を迎える7月前に、5万枚を突破した。

 回数券については、従来の紙の回数券にも有効期限がなかったので、回数券のユーザーは「せたまる回数券」になっても週2−3回利用する乗客であろうと運営側では予測していた。しかし蓋を開けてみると、たとえば月1回歯医者に通うためにしか世田谷線を利用しないユーザーなども「せたまる回数券」を購入している。利用頻度が少なく現金支払いだった乗客が予想以上に「せたまる回数券」ユーザーに流動したことが、当初の予測より多く普及した要因のひとつだと考えられる。

 さらにおもしろい現象として、沿線の学校を卒業した学生の多くが、利用していた「せたまる定期券」を返却せずに記念に持っている。これも発売に貢献しているとのことである。

 現在では、1日の乗客数よりもカードホルダー数が多いというまでになった。地域密着度の高い世田谷線沿線住民の多くがカードホルダーになれば、次の展開につなぐことができる。

 経営統括本部佐藤氏は、「これまでも沿線商店街には福引賞品に世田谷線回数券をご利用いただいており、今後は「せたまる」カードのポイントを利用したさまざまな試みを沿線コミュニティーに提案していきたい」と語っている。

 もちろん「せたまる」の成功を、東京急行の他路線やバス路線へ拡大したり、パスネットやSuicaとの連携に発展させていくことも視野に入っている。さらには、乗車券という単機能から、電子マネーなどを含めた多機能化に向けた発展の方向性もある。これらの方向性には、まだまだ越えるべきハードルが多いのだが、「社会の流れを見極めつつ挑戦していきたい」と佐藤氏。

 交通系で多く採用されている非接触ICカードのType Cは、システム設計を初めに決めておかないと後からアプリケーションを追加するのが困難である。長期的には、Type Cの高速性とType Bのアプリケーションの柔軟性がひとつになった時、ICカードビジネスは一気に花開くのではないか、と鉄道事業本部の運輸営業部の小野氏は推察している。



 交通系ICカードとして、確かな成功をつかんだ「せたまる」。今後、このICカード乗車券が何に"変身"していくのか、これからも注目していきたい。

→コラム&レポート一覧へ

(C) Copyright 2001-2008 IPSe Marketing, Inc. All Rights Reserved.